コーチ・プロフィール

コーチ・プロフィール

コーチ 松尾 明(まつお あきら)
指導歴
■有明学園 有明高等学校 硬式野球部コーチ
■IBLJ(四国九州アイランドリーグ)
・愛媛マンダリンパイレーツ(1to1コーチング)
・福岡レッドワーブラーズ(オフィシャルサプライヤー、1to1コーチング)
■現:早稲田大学 漕艇部メンタルコーチ
他1to1(アスリート及びビジネス)コーチング多数

イップスに悩み、日々試行錯誤している多くの選手(みなさん)へ

高校 1 年生の春。当時の私は遠投 100m。肩にはそれなりに自信がありました。誰とキャッチボールをしても、臆することもありませんでした。入学早々から投手として、時折練習試合にも出させてもらっていましたので「このまま練習を重ねていけば、やれる!」。そんな手応えを感じて、日々練習をしていました。

それが5月の連休明けのある日を境に、私は本来の自分の投げ方が全く出来なくなりました。以前は息をすること、歩くことと同じくらい自然にできた「投げること」が一転して恐怖に変わってしまったのです。

きっかけは、オーバースローからサイドスローへの投球フォームの変更でした。サイドの方が私の身体特性に合っているのでは?と指導者からご提案を頂いたからです。私も指導者の期待を嬉しく思う反面、少し戸惑いながらも快諾しました。

サイドスローへの変更初日は、初めて行う動作で、とても心地よく感じられました。その日は、一日も早くサイドスローを定着させるために、かなりの球数を投げ込みました。

翌日、ブルペンに入る前に外野でキャッチボールをしました。「ん、何だろ?、この変な感じは?」。最初の1球目から、投球動作に違和感を覚えました。なぜかしきりに、利き腕ばかりに意識がいってしまうのです。投げていても、どこか不自然な動きで、バランスの悪いフォームになっていると感じました。私のボールを受けてくれた先輩捕手も怪訝そうな、不思議そうな表情でした。「どうした?!」と心配そうな声を掛けてくれたのを覚えています。その日は、早く元の状態に戻そうと、また数多く投げ込みました。

その翌日です。「よおしっ!」と意気込み、キャッチボールを始めようとしました。すると意に反して、昨日以上の違和感と不快感に襲われました。投球動作を試みようとしても、体が昨日のフォームにならないのです。動きに不具合を感じ、その不具合を払拭するのに懸命になってしまうのです。次第に私は、投げる動作そのものが全くイメージできなくなっていきました。その日は、自分に何が起こっているのか、分からないままキャッチボールをしました。体のどこをどうやって動かしたらよいか・・一昨日までの動作が再現できなくなったのです。

「今、この手に持っているボールをどうやって投げたらいいのか?・・」

「テイクバックはどうすればいいのか?・・」

「どこでボールをリリースすればいいのか?・・」

私は、あれほど自然にできていた「投げる」ということの、全てがわからなくなってしまいました。

この日を境に、私は普段のキャッチボールから、信じられないような投球が続くようになりました。でも、試合になれば変わるだろうと、時折練習試合で投げさせてもらいました。ですが結果は散々。4連続四死球、バッターの背中を通過するボール、ピッチャーゴロは暴投、牽制はランナーに当たる・・。こんな状態ですから私が登板すると、全く試合になりませんでした。当然1アウトも取れずに降板する試合が何度もありました。

あまりの酷さに、アンダースローに転向。しかし・・・

数か月経っても、一向に改善の兆しがみえない私の投球の酷さに、見かねた監督やコーチは、「あきら、もうこんな状況がずっと続いているよなあ。いっそ下にしてみるか?」と私にアンダースローを提案してくれました。

私は「もうなんでもいい、どんな投げ方でもいい。普通に投げられれば・・」そんな“藁をもすがる“思いでアンダースローを試みました。

アンダースローの初日は、サイドスローの時と同様に、初めての動作だったためか、体がリフレッシュした感覚でした。悪くはない感触で投げることが出来ました。私は「おっ、もしかしたら、あんな状態から抜け出せるかも?!」とちょっと期待した瞬間を覚えています。

しかし、その悪くはない感触はその日だけでした。翌日には、以前と同じような酷い状態へと戻っていきました。

当時のアンダースローで思い出すことは、利腕の所在が分からない感覚に陥ったことです。投球モーションに入り、グラブの中から手が離れた瞬間、その手の所在がわからない感覚になるのです。結果、どこへボールがリリースされるかわからない。だから、思いきって腕を振れないのです。

「もっと腕を振れ、しっかり振り切れ!」と、先輩やコーチからは幾度となくアドバイスを頂きました。勿論、その意図は理解しています。自分の感覚では、思いきって腕を振ってはいるんです。ですが、うまく腕の軌道がコントロールできないのです。

それでも強引に腕を振ると、こんどは意図していないのに手が地面に直接当たってしまうのです。これが痛い。ある意味、地面に当たることでようやく腕の所在に気付くような状態になっていました。爪から出血することもしばしばでした。最悪だったのは、アンダースローで投げたボールが、指が地面に擦れてしまうために、2、3バウンドのゴロで捕手のミットに収まっていたことです。当然打者は打つことはできません。捕手も審判も不思議そうに見ていました。いくらアンダースローでも、ゴロを投げるとは。投手としてあり得ない投球です。

それでも数ヶ月に何度かは、奇跡的に「あれ、治ったかな?」という日がありました。そんなときは同級生や先輩が「やればできるやん!自信持てよ!気持ち、気持ち」と、声をかけてくれました。私も「やっぱり、気持ちなのかなあ、メンタルなのかなあ」と、こうなった原因が全くわからないために、メンタルのせいだと思い込もうとしました。ですが、やはり1、2日経てば、元の制御できない体の状態へと戻っていきました。

だんだん、こんな自分のからだが信じられなくなり、次第に自分が嫌になっていきました。

当時の私の症状が「イップス」であったと医学的な診断を確定することは、今となってはできません。ですが、今日医学的に明らかになったイップスの様々な特徴的症状から考えると、当時の私はイップスであった可能性が高いと推測しています。そう考えると、この高校1年生の5月が、私のイップス症状に悩まされる人生の始まりだったと言えると思われます。

原因は気合不足? 未熟なメンタルの問題??

私の高校時代、野球界にはこのような“不可解”な投球についての理解は、当然のように十分ではありませんでした。そもそも「イップス」といった言葉も存在していませんでした。従って不可解な投球の原因は、本人の気合のなさ、弱気、びびり、考えすぎといったメンタル面。或いは練習不足、未熟な筋力(特に下半身の弱さ)といった精神的・肉体的な弱点が原因と考えられる傾向にありました。当然、私もそう思っていました。無理もありません。周囲に同じような症状の選手がいる訳でもなく、又、他チームでもそのような選手を見たこともなかったので、私もチーム関係者も正しい理解ができなくても仕方がなかったと思います。

私は必死に出口を探しました。何をやっていいかわからない中でしたが、行動せずにはいられず、試行錯誤を重ねていきました。

ブルペンで連日100球以上の投込み。70m程の遠投(反復連投)。酸欠手前まで追い込む中距離走のインターバル。終わりのないネットスロー。テイクバックの軌道確認、トップ位置の目視確認、スナップスローの反復練習(手首、指ではじく)。とにかくストイックに体を追い込んでいきました。

また、私はこんな症状になってからは、自他共に“精神面が課題“と思っていましたので、メンタル強化の意識とその取り組みは、人一倍思い入れがありました。実際にメンタル面の強化に取り組んでいました。私は必死になってこの状況を打開しようとしました。

みんなが寝静まった深夜の食堂(寮生活でした)で、五円玉を吊り下げ、五円玉の穴を無心に見つめ続けたり、蝋燭の炎を無心で見つめたりしました。「私はできる!」とポジティブなキーワードを自分の声でテープレコーダーに録音し、それをヘッドホンで聴く自己暗示法も続けました(これはベッドの中でヘッドホンを掛けてよく聞きました)。登板前のベッドの中では、成功のストーリーを頭の中で描く、イメージトレーニングもよくやりました。心理学の本も、当時からかなり読んでいました。他にもコーチや先輩からのアドバイスをもらったりしながら、良いと思えるものは手当たり次第に試しました。

ですが、やり方が良くなかったのか、思うような成果は得られませんでした。

その後は、毎日が試行錯誤の連続でした。どうやって1日1日を過ごしてきたか、あまり覚えていません。ただただ投げることが苦痛な状態が日々続いていました。

ソフトボールはOk?

高校2年のある日、体育の授業でのことでした。その時間はソフトボールで、私は投手をすることになりました。ソフトボールの投手は知っての通り、真下から投げます。自分が投げて驚いたのですが、真下から投げると体がスムーズに動くのです。「えっ・・なにこれ?!」自分でも驚くスピードが出て、ストライクが取れるのです。「全く練習もしていないのに?」。私は同じクラスの野球部員を、次々と三振にとっていきました。投げていて、体が思うように動くので心地よかったのを覚えています。ソフトボール選手だったら?・・なんて思ったりもしました。同じ野球部のメンバーからも「なんで?!真下から投げると、そんなに良くて、なんで野球ではできないんだよ!野球でもそういう気持ちで投げればいいのに!気持ち、気持ち!」と言われました。自分でもどう答えていいのか、困ったのを覚えています。本当に不思議でした。なぜソフトで出来て、野球で出来ないのか?

日替わりフォームでその場を凌ぐ

このソフトボールの体験がきっかけで、それ以降は日替わりフォームで投げることを思いつきました。私は、いかに最悪の状態を回避するか?いかに違和感を少なくするか?いかに不快感を減らすか?といった、いかに-(マイナス)感覚を減らすか?に焦点を当てて投げるようになりました。日替わりフォームだと、その都度動作が新鮮だったためです。不快な感覚が和らぐように感じました。

私はそうしてその日、その場を凌ぎながら、何とか高校野球選手として、チームのメンバーの1人として、生き残ることが出来ました。また、当時打線の中軸を打たせていただいたことも幸いでした。そこそこですが、バッティングは自信があったので、選手としてプレーできたのだと思います。私は、ほぼ外野手として、殆ど投げない控えの投手として出場する機会を頂き、プレーさせて頂きました。幸い甲子園にも出場することができました。

今思えば、投げるたびに周囲を混乱させていた私を使い続けてくださった監督、コーチには感謝しかありません。

そんな周囲の温かい配慮のおかげで、野球選手として生き残る場を得て、私はその後、大学野球へと道がつながりました。

周囲に自分の状態を悟られないように投げていた大学時代

大学では、外野手としてスタートしました。バッティングを生かすべく、打者としての再起を賭けました。野手だと、捕球位置によって投球フォームが変わるためか、不快感はだいぶ減っていました。ただ利き腕の軌道によっては、いつどんな時にあの変な感覚になるのか?といった不安は残っていました。

そんな矢先の1年生の秋、私は再びアンダースローの投手に戻ることになりました。理由は、当時のチーム事情です。私がいたチームにアンダースローの投手は不在でした。リーグ戦を勝ち上がる為、多様な戦略上、アンダースローの投手が必要だったのです。そこで高校時代にアンダースローの経験のあった私に、声が掛けられたのでした。監督から声を掛けられた時、私は「あの感覚は二度と味わいたくない。昔の症状がまた出るのではないか?」といった不安がよぎりました。しかし、大学野球のレベルの高さを肌で感じていたので「もしかしたら、これで早く試合に出られるかもしれない。そしてもしかしたら、あの感覚は自然と治っているかも?」と微かに自分への期待が膨らんでいきました。結果、私は投手コンバートの提案を快諾しました。

投手へのコンバート後の数日間、幸いなことに不具合な感覚はありませんでした。ですが、やはり日を追って球数が増えていくと、次第に利き腕の使い方や、諸々の動作のタイミングが合わなくなり始めました。スムーズな連動ができなくなっていったのです。徐々に投げ方そのものが、おかしくなっていきました。

その後は、高校時代の試行錯誤で培った、日替わりフォームで投げました。意に反する動きがある中でも、何とか投げられるような術を、私は既に会得していました。そうして、その場を凌いでいきました。

私は大学4年間、リーグ戦のベンチ入りは結果2シーズンのみ。リーグ戦は1試合1イニング3分の2の登板のみ。四死球を重ね、本塁打を打たれ散々な内容でした。ただオープン戦では一時期に限ってですが、数多く投げさせて頂きました。高校時代と同じで1年に何度か思ってもない程、動きがスムーズな時期があるからです。強豪社会人チーム相手に完璧に抑え込むこともありました。自分でも「あれ、俺ってこんないいボールを投げることができたんだ。打者の胸元を狙っても全く臆さない。懐に食い込むシュートを投げるのも平気だぞ?!」と。自然に強気になっている自分がいました。自分でもそのギャップに驚きました。

ですが、こんなハッピーな時間も、やはりつかの間。また数日後には、出口のない、長い、長いトンネルの自分の“定位置“へと戻っていきました。

「一体、私はいつになれば、良くなるのだろうか?もしかしてこのまま野球人生が終わってしまうのではないか・・」。そんな恐れる日々が再び続くことになりました。

この頃から私は、「自分の体と他人の体は、構造的に違いがあるんじゃないだろうか?何かが欠損しているのでは?」。そんなことを考えるようになっていました。

「何かがおかしい・・」と。

社会人1年目で投手クビ。

私は当時大学でも希少なアンダースローの投手であったことや、年に何度か訪れる、とんでもなくいいボールを投げられる、その印象があったのか、様々な幸運に恵まれ、社会人野球でプレーすることが出来ました。

社会人になってからは、都市対抗野球出場を目指し、気持ちも新たにスタートしました。ですが、そんな気持ちとは裏腹に、またしても私の投球動作は意に反するようになりました。しかも更に不安定になり悪化していきました。内心、「もう勘弁してくれ!」と誰かに何かに叫びたくなる心境でした。

屋根付きブルペンでは、屋根に何度も当たりました。

隣で受けているキャッチャーへ投球しました。

牽制球での暴投、牽制でランナーへぶつけました。

投手が入ってのシートノックでは、ピッチャーゴロを捕球後、ホームへ送球したところ、ノッカーへぶつけてしまいました。

こんな不可解なプレーは数回ではなく、挙げればキリがない程ありました。また1年目の夏には、いつの間にか肩を痛めていました。

そんな毎日でしたから、野球部での自分の居場所が気になるようになりました。会社の仕事も手につかない状態が続きました。“普通に投げられない“ということが、じわじわと私の日常全てに影響を与えていきました。

私は1年目のオープン戦3試合のみの登板で、投手を見切られました。客観的に見れば当然です。私に期待して、私を採用してくださった監督やコーチ、先輩たちには、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。今でもその“しこり”は心の中に残っています。

2年目以降、私は外野手へ転向させて頂きました。というより守るポジションがなく、外野に回ったという言い方の方が正解です。

その後の2年間は、日替わりフォームの外野手でなんとか耐えしのぎ、打者として生かしていただきました。打者としては指名打者や代打、時には先発で出て、試合後半で守備の良い選手と交代。そんな起用法で活躍の場をいただきました。本当に有難いというか申し訳ない限りでした。

10 年間投球に苦しみながらの野球生活も、戦力外通告で終了。

シーズン4年目を終えたオフ、11月下旬。当時の監督から一人呼ばれ、食事に誘われました。ある中華料理店の席でした。2人用のテーブルにつき、監督から一言。「お疲れ様。」と言葉をかけられました。戦力外の通知でした。目の前に見える店内の景色が、ぐにゃぐにゃと回って見えました。勿論4年目ということで、どういう立場にいるか、薄々気づいてはいました。しかし、やはり実際にその言葉を耳にしたときは、さすがに動揺してしまいました。

15 歳でイップスの症状に悩まされてからの10 年間。投げ方に翻弄された私の 10 年間がそこで終わりました。キャッチボールの充実感を再度肌で感じることが出来ずに、野球人生が終わりました。中華料理店で監督と別れた後、しばらく呆然としていました。ただ、「もうあんな状態で野球をやらなくてもいいんだ・・」と、どこか安堵感に似た気持ちがあったのを覚えています。

現役引退後はマネジャーとして再出発。ある試合中のひらめきがヒントに。

現役引退後は、チームマネジャーとして裏方にまわることになりました。当時、マネジャーが球場に出向くのは、試合か土日の練習のみ。それ以外は他社チームとの折衝や、チームの運営管理、社業に当てられ、野球には携わってはいるものの、選手とは全く違う立場になりました。

ただ、このマネジャーの経験が、後にイップスの解決法を突き止める機会を与えてくれました。それは私がマネジャーになって3年ほど経ったある日のこと。地区大会で、チームのスコア管理をしながら試合を見ていた時でした。ある他チームの選手のバットスイングが目に留まったのです。

「いいスイングしているよなあ。しかも動きが安定している。なんか堂々としているものなぁ・・・。ん?待てよ。安定した動き?!もしかすると、これは・・・?」と、ある事がひらめいたのです。

それからは居ても立っても居られませんでした。試合終了後の片付けを終えた後、早速マネジャー仲間にキャッチボールをお願いしました。さっき気づいたことを気に留めて投げてみたかったのです。

「えっ、うそ何これ。何でこんなに簡単にボールをコントロールできるの?」

すると、驚きました!

現役時代に年に1、2回なぜか突然現れる、あのスムーズな動き(投げ方)に似た動きが、あっさりできてしまったのです。動作途中で力が抜けたり、動きが引っかかったりすることなく、余計な思考を挟むことなく、自然な一連の動作になっているのです。とっても懐かしい動作感覚でした。
自然にスムーズに手足が動いてくれるのです。
程よい位置でボールが勝手にリリースされていくのです。
そこまで狙っていないのに、捕手が構えたミットに”スーッ”と収まっていくのです。
意図するイメージに自然に身体が反応してくれるのです。

「これだ!これ!この感覚!」。それはもう心臓の鼓動が「バクッ、バクッ」と音を立てて聞こえるくらい興奮しました。同時に「まさか?」と思いました。長い間、あんなに投げ方に四苦八苦し、投球に恐怖感を持っていたのに、こんな当たり前のことを気に留めて投げるだけで、こんなに楽に投げることができるなんて・・・。キャッチボールがこんなに楽しかったなんて・・・。中学生以来のあの爽快なキャッチボールの感覚が、蘇ってきた瞬間でした。

翌日、改めて現役の後輩捕手にボールを受けてもらいました。コーチも同席してくれました。昨日と変わらない、いやそれ以上のボールを投げられることを確認しました。リリースでボールが指にかかる感覚、自分の身体を操作出来ている充実感、狙ったコースにボールをコントロールできている自分。夢にまで見たイメージ通りの投球ができて、ボールを心地よく投げる楽しさに震えました。本当に、本当にもう長らく、こんな感覚は忘れていました。

投げ終わった後、当然お世辞だとはわかっていますが、後輩捕手が「松尾さん、現役行けるんじゃないですか?」、コーチが「お前、こんな良かったっけ?」と、言ってくれたのを今でも覚えています。もう、涙が出るほどうれしかったです。立場上平静を装ってはいましたが、嬉しくて、嬉しくて、その場で「やったぞー!」っと、大声で叫びたいほどでした。

「投げ方がわからない」検索サイトで調べるも、何か腑に落ちない。

私は、社業に専念せねばならない年齢に達してきたこともあり、マネジャー業を引退し仕事に専念するようになりました。普通の社員と同様に、仕事に没頭するようになりました。

ある休みの日、私はインターネットで「投げ方がわからない、引っかかる、すっぽ抜ける・・」といったキーワードで検索してみました。現役時代の自分の症状が何だったのか?と、調べてみたくなったのです。すると、あるイップス専門家のサイトで「イップス」という言葉の説明を見かけました。そのサイトには、「イップスは“怖くて投げられない、相手に気を使ってなげられない”」といった内容の説明がありました。すぐさま「これは私のことだ!」と思いました。「そうか、あの不具合な症状は、イップスというものだったのか」。それはまるで、自分が何者だったかがようやくわかったような気持ちでした。とても安心したのを覚えています。

私はその専門家サイトを読み進めました。すると、次第に何か引っかかるものを感じ始めました。それはイップスの原因についてです。「イップスは、誰もがかかる可能性のある精神的な症状、精神的なものが原因、心の病、うつ、無意識云々、メンタルトレーニングが必要・・」。このような文言が、ずらりと書かれてありました。

自分の経験上、どうも腑に落ちないため、他のイップス専門家サイトも見てみました。すると先ほどのサイトと同様に「イップスはメンタルが問題」といった内容の説明がありました。私は、またまた表現し難い違和感を覚えました。「イップスって、本当に心、メンタルが原因なの?、メンタルサポートを受ける?無意識へのアプローチ?、無意識の行動ならわかるけど、運動についても?、対人援助を受けないと改善しないの?・・」。自分の経験と照らし合わせてみると、釈然としない専門家サイトの情報が気になるようになりました。

山なりのボールしか投げられないイップスの大学生との出会い。

そんなある日、知人から「松尾、イップスらしき症状で悩んでいる大学生がいるんだけど・・・」。そんな相談が舞い込んできました。知人に話を詳しく聴くと、塁間も投げられないような状態だと言います。それはまずい。と直感的に判断して、翌週、その大学生と会うことになりました。

紹介された大学生は、最初、山なりのボールしか投げられませんでした。ステップ足を上げた段階から既に左肩が開き(右投げ)、しかも身体が1塁側へ大幅に倒れるように傾いていました。利き腕は不可解な軌道を描き、肘から先だけで押し出すような投げ方でした。何とも表現し難い動きでした。彼の投げたボールは、リリースで全く力が伝わっていない為、ほぼ無回転のボールでした。例えて言うなら、風船のような、ふわふわした軌道を描くボールなのです。「これはひどい!まるで私の高校時代みたいだ。」そう感じました。テイクバックの不可解な軌道、手首の使い方、左足のステップの仕方。、彼の一連の動きを見ながら、どう言葉をかけていいかわからず、私は暫く無言でキャッチボールをするしかありませんでした。

「多分これはイップスではないか?これでは1球ボールをコントロールするのに、相当な気力と労力が必要だろう」。そう察しました。私はいつの間にかその大学生を見て、自分の現役時代と重ね合わせて見ていました。

その日は休憩を挟みながら、少し話をして2時間程キャッチボールを行いました。その後は計2、3回でしょうか。毎回2~3時間、改善動作のコツを教えていきました。確か 3 回目位で、おおよそ相手の胸に、一定のスピードでボールが届くようになっていきました。ボールの回転数、スピードも出始めるようになっていきました。距離も塁間より長い距離を、少しずつ投げられるようになっていきました。特にすっぽ抜けや引っかかる球が極端に減少していたのが印象的でした。そうして計4回ほど練習した後、自然と彼が私のもとを尋ねてくることがなくなりました。

その半年後、彼に偶然会いました。彼は「もう大丈夫です。以前はありがとうございました。」と笑顔で挨拶してくれました。ちょうどグラブもあったのでキャッチボールをしました。本当に良くなっていました。

私は、この大学生のケースと、私自身のケースをもとに、なぜ改善したのか?をより深く考えるようになりました。何故なら私も、あの大学生も、第三者から精神的なサポートを受けたわけではなかったからです。非常に基本的な投球動作の指導を施しただけなのに、動作がスムーズになっていったからです。

「エビデンスは後!」、完全に背中を押されました。

私はある方に相談しました。

「この間、ある大学生を指導しました。特徴的な動作からイップスだと見立て、基本的な動作の再構築を施しました。結果、予想以上に改善して、喜んで頂きました。ただ、私の体も、大学生の体も、その時一体何が起きたのか、私には分かりません。私は医師ではありませんし、当然医療従事者でもありません。勿論大学教授でもありません。ですから診断は勿論、今、自分が頭に描いている解決方法の仮説を発信することが難しいと感じています。

でも、現在のイップスの認識は気になるものがあります。何か間違った方向に向かっているように思えてなりません。何とかしたい。だけど、どうしたらいいだろうか?・・」こんなことをその方に相談しました。するとその方が次のような助言してくれました。

「松尾さんのこれまでの経験は、今の選手たちにとって、とても貴重だと思いますよ。克服事例を発信するのに、医師かどうかはあまり関係ないのでは?松尾さんの経験値と、そのノウハウを発信してもいいんじゃない?絶対、同じように悩んでいる選手はいると思うよ。松尾さんなら選手と同じ目線に立って一緒に解決することができるでしょう?それって、選手からすると心強くない?松尾さんに仮説があるのであれば、やってみることですよ。エビデンスは後から付いてくるんじゃないかな」。と

私は、この言葉に完全に背中を押されました。私はそれまで、実績ある選手じゃないと指導に説得力はない。医師、医療に携わる方でないと、また医学的エビデンスを持っていないと、発信しても誰も信じてくれないのではないか。そのことにとても拘っていました。しかしこのアドバイスで私の思考は完全に切り替わっていきました。

以降知人にホームページを制作していただき、まずはボランティアでイップス改善指導を受付けるようになりました。

「これはもしかしたら、すごいことを発見したのでは?」

ホームページで紹介し始めると、日を追うごとに相談のメールが入ってくるようになりました。

「イップスかもしれないので見てください」といった大学生が、続けて訪れるようになったのです。私の本拠地である関東地域だけでなく、静岡から車で、京都から深夜バスを乗り継いで、わざわざお越しになられました。私は、通常業務を終えた後の夜間に屋内施設を借りて、指導するようになりました。

指導すると、選手のギクシャクしていた動作が次第にスムーズに動かしやすくなり、笑顔になっていく姿が見られるようになりました。

自分でいうのもなんですが、選手たちの変貌ぶりに驚きました。「これは、すごい。すごいぞ!これは何かを発見したのではないだろうか?」そう思えるようになりました。

誤解の氾濫

悲しいことに、イップスについては今でも誤った情報が流布され続けています。

お問い合わせくださる方、お越しになられる方の大半は「イップス=メンタルの問題」といった理解でいらっしゃいます。

概ね以下のようなコメントです。

「私はやっぱりメンタルが弱いのだと思います。だって投げようとすると、頭の中に嫌なイメージが出て投げられなくなるんです。『無心で投げろ』と言われるのですが、無心になれないんです。嫌なイメージを排除できないんです。これってやっぱりメンタル面が問題ですよね?・・」

恐らく誤った情報が周知され、自己認識にバイアスがかかっているのでしょう。

私はだいたい、このような返答をしています。

「嫌なイメージが出てくるのは、『嫌な記憶』があるからですよね。それは『嫌な感覚』と紐づけされていませんか?セットになっていませんか?

『嫌な感覚』が『心地よい感覚』になったらどうですか?そうしたら『嫌な感覚』は次第に消えていきませんか?事実としての『心地よい感覚』が、いいイメージ”を生みだしてくれませんか?」と。

『心地よい感覚』とは、つまり引っかかりのない、力感を感じられる、操作感のあるスムーズな動きのことです。

とある、大学スポーツ科学の学術関係者から頂いた資料で、「やはり!」

2014年1月、新宿のカフェで私は、ある方から1枚の資料を頂きました。

「松尾さんが言いたかったことって、こういうことではないでしょうか。イップスについて調べましたよ。イップスは、どうも心の問題ではなく、神経のオーバーラップが原因のようですよ」と。その方というのは、とある大学スポーツ科学部で授業を持たれ、オリンピックにも帯同するような研究者でした。私も折に触れて相談をさせて頂いていた方でした。

その方から頂いた資料が私のHPにも紹介してある以下の解説文です(一部抜粋)。

「職業性ジストニアは、筋や腱、あるいは脳における器質的原因が特定できなかったため、かつては神経症の一部に分類されていた。すなわち心理的要因による「こころの病」であると考えられていた。しかしながら、神経症の診断テストを実際に行ってみると、これら職業性ジストニア患者のスコアは健常者と変わらなかった。また、熟練ゴルファーを対象とした研究においても、イップス罹患群と非罹患群との間で神経症スコアに差は見られなかった。これらの知見により現在では、職業性ジストニアやイップスは神経症ではないと結論づけられている」⁽¹⁾

⁽¹⁾工藤和俊著 『スポーツと脳』 体育の科学 vol58 No.2 2008 98P

※神経症とは心の病のこと

私は愕然としました。なんと、イップスは、2008年に既に「心の病ではない」と結論付けられていたのでした。私はある程度、神経系の障害だとは想像はしていましたが、この学術資料によって、その事実を知ることができました。

長きにわたって適切な情報が行き届いていなかったことに、私はこの時、改めて気づかされました。「これはいかん!」と問題意識がさらに増していきました。

それからです。私はイップスへの誤解を解くべく、工藤氏の解説文をホームページに掲載させて頂くようになりました。また工藤氏に直接会い、ホームページ掲載の旨も伝え、更に私自身が一層イップスについての理解を深めることが出来ました。同時に自分が取り組んでいる方向性にも、手応えが感じられるようになっていきました。

改めて。イップス症状で悩み苦しんでいる選手たちへ

もしかしたら、今は出口の見えないトンネルにいるように感じるかもしれません。私が出口を抜ける道案内を致します。一歩、一歩一緒に出口に向かっていきましょう。

私にはどんなボールを投げても大丈夫です。あっちこっち行くボールにも慣れている

ので、安心してお越しください。だって私自身もそうでしたから。

 

トレーニングサポート研究所 所長
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