1)イップスとは?

※最新情報「2020年9月2日 NHK BS2 又吉直樹のヘウレーカ」工藤和俊氏のコメント→工藤和俊氏 20200902

「イップス(yips)」という言葉は俗称です。医学的には、職業性ジストニア或いは局所性ジストニア(フォーカル・ジストニア)として考えられています。

これまでイップスは、原因不明だと考えられてきました。そのせいか、原因は精神的なこと、不安神経症、強迫神経症等と解釈されてきました。正体がわからなかったため、そう解釈せざるを得なかったのでしょう。また、イップスは、外傷もなく、痛みもなく、痺れもなく、それまで出来たあたり前の動作が突如出来なくなってしまうため、そのように思われてきたのではないかと考えられます。

以下、イップスについて、適切な治療、適切な改善指導が受けられるよう、情報を提供していきます。

※文中に「イップス」の文言以外に、「職業性ジストニア(局所性ジストニア、フォーカル・ジストニア)」といった複数名称が出てきますが、俗称か医学的な呼称の違いとして読み進めてください。

2)イップスは、こころの病ではなかった

長らく正体がつかめなかった「イップス」でしたが、最近の学術研究(神経科学)によって、脳の構造変化による運動障害であることが解明されてきました。
以下、それらを記した神経科学、スポーツ心理学の研究者である工藤和俊氏(東京大学)の解説を引用します。

「職業性ジストニアは、筋や腱、あるいは脳における器質的原因が特定できなかったため、かつては神経症の一部に分類されていた。すなわち心理的要因による「こころの病」であると考えられていた。しかしながら、神経症の診断テストを実際に行ってみると、これら職業性ジストニア患者のスコアは健常者と変わらなかった。また、熟練ゴルファーを対象とした研究においても、イップス罹患群と非罹患群との間で神経症スコアに差は見られなかった。これらの知見により現在では、職業性ジストニアやイップスは神経症ではないと結論づけられている」

工藤和俊著 『イップス(Yips)と脳』 体育の科学 vol58 No.2 2008 98P

器質的原因とは、内臓や筋肉の損傷がある原因のことです。神経症とは、主に心理的原因によって生じる機能障害のことを指します。

このように2008年、イップスの学術的な解説文が既に発表されています。今から10数年以上も前です。現在の一般的なイップスの認識とは大きく乖離していることが、この文献から見て分かります。

3)イップスは、脳の構造変化の結果である

工藤氏はその後、イップスの原因について、他の文献にて更なる解説を加えています。

「何度も練習しているはずなのに、いざ運動しようとするとうまくできなくなってしまう。これがイップスと呼ばれる症状です。病名としてはジストニアに相当し、神経症とは関係ないことがわかっています。近年の研究により、イップスは同一動作の過度の繰り返しにより脳の構造変化が起きることで発症しうることが明らかになっています。脳には身体部位に対応する感覚運動領域が規則的に並んでいます。同一パターンの動作を繰り返し行い続けると、感覚運動野の興奮が高まるとともに活動範囲が変化して複数の領域がオーバーラップし、独立していた部分が合わさってしまいます。これにより、体部位再現性が失われて、意図とは異なる運動が現れたりしてしまいます。完璧主義の人はイップスにかかる例が多いのですが、できるようになるまでやらないと気が済まないという行動特性があるためです。また、力が入っている状態でも感覚運動野の興奮性が高まるため、力みやすい人も注意が必要です」                     

工藤和俊著 『スポーツと脳との関係』 Coaching Clinic 201503

 

上記の解説文から、イップスは、過度な同一動作の繰り返しが原因であることが分かります。その結果、感覚運動野が興奮してしまい神経がオーバーラップする(重なる)ことでイップス(局所性ジストニア)となり、意図とは異なる動きが出現してしまうことがわかります。(図①は工藤氏の解説をもとに作成)

図①

 

工藤氏の解説をもとに補足します。図①は、大脳皮質の断面図を表しています。大脳皮質の表層部分(朱色部分)には、規則的に並んでいる感覚運動野があります。
例えば、図①の「手首」と「ひじ」の位置を御覧ください。共に隣接しているのが見て分かります(吹き出し部分)。上述の工藤氏の解説を野球の投球で例えて考えると、「手首」と「ひじ」の連動、つまり、テイクバック~リリースの間の一連の動作を想像することが可能です。イップス(局所性ジストニア)を体験した方であれば、合点がいくのではないでしょうか。

さて、投球イップスになると、テイクバック~リリースの間のある地点で次のような、これまでとは異なった動きが繰り返されてしまいます。以下のような症状です。
・必要以上に肘が伸びた状態になる(余計に背中側に腕が引かれてしまう)。
・必要以上に肘が屈曲してしまう(頭部に手があたる、当たりそうになる)。余計な動きが加わる。
・リリースで、手首が屈曲(伸展)してしまう(きちんとボールをリリースできない)
 ※あくまで一例です。肩肘ではなく膝等の選手もいます。人それぞれに不具合な動きが大小多様に存在します。

4)フォーカル・ジストニア(局所性ジストニア)

もう一方ご紹介します。局所性ジストニア(フォーカル・ジストニア)の病態研究で、数多くの実績を上げている、古屋晋一氏である。古屋氏は、元ピアニストでもあり、研究者でもあります。以下古屋氏の書籍の一部を引用します。

フォーカル・ジストニア(局所性ジストニア)とは、聞き慣れない名前かもしれません(中略)発症しても痛みやしびれは伴いません。しかしピアノを弾こうとすると、意図せず手指の筋肉に力が入って固まってしまったり、動かそうと思っていない指が動いてしまったりと、思い通りに手指を動かせなくなる病気です。(中略)ゴルフでは、パッティングのときだけ身体が固まって動かなくなる『イップス』という病気がありますが、これもフォーカル・ジストニアとの関連が指摘されています」

「フォーカル・ジストニアを発症すると、手指が動かせなくなるため、速いパッセージを演奏することが困難になります。さらに指を伸ばす動きが難しくなるので、鍵盤から持ち上げるために時間がかかってしまい、音の長さが長くなったり、リズムが不正確になってしまいます。このように、フォーカル・ジストニアとは、思い通りに演奏ができなくなってしまう、とても恐ろしい病気なのです」

      古屋晋一著『ピアニストの脳を科学する』118、119P引用

ピアニストの手指の連動と、野球の投球における肩肘、手首等の連動する神経回路の違いはありますが、奏者と選手に起きていることは同様の症状ではないでしょうか。

5)フォーカル・ジストニア 3つの特徴

更に古屋氏は、フォーカル・ジストニアには以下3つの特徴があると解説しています。

①脳からの指令を抑制できなくなる

フォーカル・ジストニアによって脳内に起こる変化として、まず第一に挙げられるのが、脳から筋肉に送られる命令を「待て!」と抑制することができなくなる、ということです。(中略)なお、動作の抑制に関わる脳の部位として、大脳基底核というところが脳の奥深くにあります。フォーカル・ジストニアを患うと、この大脳基底核の一部である被殻の大きさが、大きくなることが知られています。(中略)おそらく、フォーカル・ジストニアを発症し、大脳基底核の抑制機能が低下することで、他の脳部位から被殻へ送られてくる情報を十分に抑制できず、たくさんの信号が送られてしまうために、被殻がいっそう大きくなるのではないかと考えられています」
※被殻とは、運動系機能を司る役割。運動の強化学習に影響する部位。

②手指の地図が書き換えられてしまう

フォーカル・ジストニアによって脳内に起こる2つ目の変化は、身体から脳に送られる情報を、適切に処理できなくなるということです。つまり、皮膚や筋肉の感覚を処理する脳の神経細胞に、好ましくない変化が起こってしまうということです。(中略)ジストニアを患うと、脳の中での部屋同士の区切りが曖昧になってしまい、いわゆる相部屋のような状態になってしまいます。

上述図①と合わせて御覧いただくと分かりやすいかと思います。ある部分の脳内地図(部位)が書き換えられてしまい、意に反する動きが表れるということかと考えられます。

③必要のない筋肉まで働いてしまう

フォーカル・ジストニアを発症すると、ある筋肉を使う際に、その周りにある複数の筋肉も「つられて」一緒に収縮してしまいやすくなるという変化です。(中略)つまりある筋肉を使うと、その筋肉の働きを手助けする筋肉が一緒に働くだけでなくて、協力する必要のない筋肉までもが一緒に収縮しやすい状態になっていたのです。そのため、たとえば親指で打鍵しているときに、自分では意図していないのに小指が一緒に動いてしまうといったことが起こるわけです。(中略)通常、手指の筋肉のうち、ある一つが収縮しているときには、その筋肉に指令を送る神経細胞は活性化し、その周りの筋肉に指令を送る神経細胞は活動しにくい状態になります。つまり、ある筋肉を使っているときには、周りの筋肉が一緒に収縮してしまわないような脳のしくみになっているわけです。

上記①~③は、古屋晋一著 春秋社 『ピアニストの脳を科学する』121~127Pより引用

古屋氏曰く、世界中の音楽家の50人に1人は、フォーカル・ジストニアに悩まされているとのことです。つまり2%の割合です。野球や他の競技においても、もしかすると、同等の割合或いはもっと多い割合で悩んでいる選手がいるのかもしれません。

6)イップス、ジストニア等の呼称の分類

ここで呼称の整理をしておきたい。ご自身もフォーカル・ジストニアを患った経験のある、仁愛大学 人間生活学部の中野研也氏がまとめてある表を参考にします。以下図②を御覧頂ければお分かりですが、各領域において呼び名が違うのが分かるかと思います。

図②

 

演奏家のジストニアの実践的対処法に関する考察-演奏家の視点から‐」仁愛大学研究紀要 人間生活学部篇 第7号118P 2015の一覧表をもとに作成

7)局所性ジストニア(イップス)の治療法

局所性ジストニアの治療法は、ピアニストの事例ではありますが、以下、古屋氏の文献から2つ引用します。野球、或いは他競技のヒントになれば幸いです。

1本もしくは、複数の指に副木を当てて動かないようにし、他の固定していない指だけを連続して動かす方法です。つまりジストニアの症状が出ている指と、その隣にある指は一緒には動かず、片方が動いているときには、もう片方は動かない状況になるわけです。(中略)これを1日1~2時間、計8日間おこなった結果、ジストニアを患った音楽家の指の感覚を脳部位で、隣同士の指の部屋の仕切りが徐々にできあがっていき、正常な脳の状態に近づいていくことが報告されています」

「ローゼンクランツ博士とロスウェル教授の考案した、振動器(バイブレータ)を用いたリハビリテーション法です。(中略)フォーカル・ジストニアを患ったピアニストの、症状の出ている手指の筋肉およびその周辺の筋肉に対して、2秒間振動を加え、2秒間休むという過程を、15分間繰り返しおこないます。このとき、バイブレータの振動の速さが、時折、変わるようにします。(中略)この訓練の結果、約3割もリズムの正確性が向上しました。また、より正確なリズムで弾けるようになった人ほど、「不必要な筋肉が、つられて収縮しやすい状態にあった」脳の回路が、つられて収縮しにくい正常な状態にもどっていたのです。さらに、このような脳の変化は、ジストニアを患っていないピアニストや、音楽家ではない人には見られませんでした。したがって、振動器を使ったこのリハビリは、「変化しすぎた脳の回路」を元に戻し、適切な筋肉だけが働くようにする効果があると思われます」

古屋晋一著 春秋社 『ピアニストの脳を科学する』134~136Pより引用

8)イップスの誤解(イップスとチョーキング)

さて、「チョーキング」という言葉をご存知でしょうか?チョーキングとは、プレッシャーを感じたことで、体が固まってしまい。思うように動けない、あれこれ考え過ぎて上手く動けない。そのような状態のことです。これらを心理学では「チョーキング」と呼びます。一般的には「あがり」といった方が分かりやすいかもしれません。あくまで推測に過ぎませんが、これまでゴルフや野球等の領域で、一般的に呼ばれていた「イップス」とは「チョーキング」のことを指していたことは考えられないでしょうか。以下「チョーキング」端的に紹介している書籍を引用します。

「チョークはふだん無意識のうちにやっている行動について、考えすぎた場合に起こる。『分析による麻痺』と呼ばれるものだ。(中略)プレッシャーのもとでチョークするのは、ある状況にストレスを感じて、その反応としてしくじることだ」

「なぜ本番でしくじるのか プレッシャーに強い人と弱い人」-シアンバイロック著 2011年10月30日初版12P引用

「チョーキング(チョークする(choking))」とは、息が詰まる、窒息するという意味です。「あがり」と同様の意味です。失敗しないようにと強く考えるあまり、一時的に体が上手く動かなくなる感覚のことです。例えば、練習中はいつも通りにプレーできるが、本番(試合)になると「負けられない・・」とプレッシャーがかかり、急になってしまう“あれ”のことです。恐らく誰もが、1度や2度の経験はあるのではないでしょうか。これらプレッシャーを感じることによって、腕や足が硬直し動かしづらくなることです。

また、「分析による麻痺」とは、いわゆる“考えすぎ”のことです。何らかの外的要因によって失敗を怖がり、意識的に「肩を・・、肘を・・、手首をもっと利かせて・・」といった手順を踏み、丁寧過ぎる程チェックしながら動作してしまう行為のことです。

こうしてみると、チョーキングとイップス、外側から症状を見ると、一見同じ症状であるかのように映ります。しかし、これまで指導してきたイップスの選手、そしてイップスではない選手の声をもとに整理すると、やはり、この2つが同じものとして見ることが難しく感じられてきます。
よって、以下図③のように整理を行いました。※最近は、チョーキングとイップスをキチンと分けて考える科学的な研究も進み始めているようですが、以下は、当研究所で行った指導時の、選手の声を拾いまとめたものです。

図③

①前提が異なる
イップスではない選手(普通の選手)が、プレッシャーを感じていない時は、特に問題があるわけではありません。一方、局所性ジストニア(イップス)の選手は、既に投げづらい状態にあります。「分析による麻痺」も頻繁に起こる。なぜなら、そもそも意図通りに動いていない為、何とか意図通りに動かそうと、自身で分析し修正してしまうからです。

影響度合いが異なる
イップスではない選手(普通の選手)に、チョーキングが起きると、一時的に普段のパフォーマンスが出せなくなります。一方、局所性ジストニア(イップス)の選手は、イップスではない選手(普通の選手)とは比較にならない程、動きが乱れてしまいます。制御不能な状態に陥ります。

 元に戻る状態が異なる
イップスではない選手(普通の選手)は、多少余韻は残りますが、本来の状態に次第に戻っていきます。ですが、局所性ジストニア(イップス)の選手は、本来の自分のフォームではなく、イップスが鳴りを潜めた状態に戻るだけになります。局所性ジストニア(イップス)の選手は、過度な同一動作によって起こる運動障害です。既に意に反する神経回路が出来上がっているため、イップスではない選手(普通の選手)と区別して考え、指導することが必要と考えます。

9)チョーキングか?イップスか?

単なるチョーキングか、局所性ジストニア(イップス)を抱えているか?これまでの実践知による簡単に見分け方を以下に示します。参考にしてください。

<見分け方>

以下①、②どちらかに該当すれば、イップスの可能性がある。該当しなければチョーキングの可能性が高いと考えられます。

①プレッシャーがない状態でも、不随意運動がある
自他ともに判別がつく。不随意運動とは、具体例としては、以下のような場合です。
・リリース前に、手が頭に当たってしまう

・リリース直前で手首が屈曲する

・テイクバックで、肘が伸びたまま、或いは肘が必要以上に屈曲してしまう

・テイクバックで、必要以上に背中側に腕が回ってしまう

・腕の動きが“カクカク”して、ロボットみたいな動きになる

フォームが崩れている自覚がある
たまに状態の良い日もあるが、ほぼ常に動きが噛み合っていない感覚がある。勿論、常態化すると、それが当たり前になり、自覚がなくなる。他人から指摘を受けて初めて気づくことも少なくない。具体例としては、以下のような場合です。

・以前と違い、関節が上手く連動しなくなった。その状態が長く続いている

・一連の動作のタイミングが合わない

・どうやって投げていいか分からない

・普通のキャッチボールでも動作に違和感、不快感がある

・分析による麻痺

10)チョーキングからイップスへ

チョーキング(あがり)に限ったことではありませんが、チョーキング(あがり)で、押さえておかなければならないことが1点あります。

それは、チョーキングが、イップスの“きっかけ”になり得ることです(図④)。チョーキング状態の選手は、力み、焦り、迷い、混乱状態にあります。そのような状態で、投げ込みやスローイング練習を過度に行ってしまうと、さらにイップスへと発展してしまう可能性が高いと考えます。

図④

イップスにはさまざまなきっかけがあります。精神的な面が関係している。と、よく耳にしますが。恐らくそれは、恐らくこのパターンによって、イップスへと発展したケースではないでしょうか?チョーキング状態のまま、過度な投げ込みや、過度なスローイング練習を施してしまった結果、いつしか、投球(送球)動作に不具合が生じ、イップスへと発展する危険性のことを指しているのではないでしょうか。

 

図⑤

チョーキングは誰にでも、いつでも起こり得ます。プレッシャーが掛かれば多かれ少なかれ、誰しも経験することです。それは私達の生理的な現象の一つであり防衛反応の一つです。無理に、チョーキングしないことにエネルギーを注ぐことも大事ですが、そもそも過度な練習をしないことに注意を払っておく方が大事かと思われます。
つまり、きっかけはいつ起きても、それに対処する知識を持っておけばよいということです。原因をつくらないことです。そうすることで、イップスへと発展することはなくなります。

ミスやエラー、暴投をしてしまっても、その後の過度な投げ込みや、スローイング練習等は控えてください。これらのことを知識として、選手、指導者が知っておくだけでも、イップスへの対策や未然防止に繋がります。 

 

「イップスの治し方」